日本が衰退した一因 として                    

日本の戦後続いた成長は低下し、そしてこの度の2011年3月大震災により、日本は丸裸にな
った感じがします。 生きて行くには出直さなければなりません。

日本の教育において、大きなウェイトを占める大学受験は、ほとんどがテストによる選抜試験
で、そこに必然的に 「偏差値」 というものが発生します。

この受験という競技で、いい思い(優越感を持つ)をするのは、上位 5%位でしょう。
20%位の人は、スポーツ、芸能、等の関係の人で、受験にはあまり関係がない人達です。

私もそうだったが、初めから諦めている人達も含めますが、70%以上もの多くの若者(主に18,
19才)は、その時点で何らかの 劣等感・虚脱感 が植え付けられてしまうようです
(この年令になって、この様な文章を書くこと自体、いまだに過去の洗脳を引きずっている証拠
かも知れませんが)

ただ、それに対する感受性も個々様々で、深く感じない人もいるだろうし、繊細な人は大きな
劣等感を受けるが、この場合、自分を追い込んでしまい 後の長い人生において良い方向には
向かわない、と感じます。

高卒後、6.7年間も受験勉強(浪人、昔、まんがで "万年さん" という人がいた)をしても、他人
は褒めることもなく、本人自身が大きなコンプレックスを持ってしまう場合は、気の毒ですが
人格・体格とも歪んでしまう。
長期間浪人させてもらった親に感謝しつつ、他人に迷惑を掛けず静かに生きていくことも大切
かとおもいます。
これは医者の子供の事例ですが、スポーツ、芸能界においても時に同じ様な事が起こります。
駄々をこねない様に、親は子供にお金を与え過ぎるが、それが 暴走 につながる様です。
人は自分に甘く、他人には厳しいものですが、あまりの過保護はよろしくないようです。

よく Never give up !! というが、妄想を捨て夢みる場所を他に求め、上手く 『諦める・見切る能
力』 も必要でしょうか?

しかし、同じことをして80%もの人間が  “敗者”  と感じるような制度は 教育 として正しいの
か、どうか、同じ土俵での判断は無理なのでは?  とも感じますが。
教育関係者の御一考を願います。

また、不可解なのは、これら受験学校の経営母体が、宗教団体であることが多い。 
宗教とは何ぞや??
そして、ここの教師方は、高校在籍中は大学受験偏差値、卒後は大学名をもって生徒を点数
化してしまうことが多い(特に、純粋培養された教師方)、
高校の同窓会で60才前の私をつかまえて、”お前なんか点数が低かったからアカン” とくる。
確かに、アカンかった。 
教師とは何ぞや ??
 その様な思考回路を基にすると、阪大医より東大理3に行った人間と仲良くすべき??)


理系の中で、ものすごく高い偏差値がとれる ごく少数の受験生は、医者を志しているかは別に
して、今の時代 医学部を目指すようですが、誰しもこのような高偏差値を獲れるわけではあり
ません。 試験に対する 『ある種の脳力』 が備わっていないといけないと、感じます。

例えば、脳を支える優れた体力、並みはずれた記憶力、高速演算力、素早い読解力、集中
力、持続力、等が必要となり、これらの基になる基礎体力、基礎能力は、鍛えて成る物ではな
く、かなりの部分持って生まれた物ではないか、ともおもいます。
京都大学の霊長研の チンパンジーさくら のような能力も必要でしょう。

しかしながら、医学部という学部は 『人間の修理屋さん』であり、あまり創造的な学部ではない
と感じます。

この医学部を卒業すると、大学、研究所に勤務する場合、所属は文科省の公務員になり、
また数多くの病院勤務、個人開業のDr.は、厚労省の一員 となります。

医学部に入学しても合わなくて中途退学をしたり、卒業しても医学とは全く関係のない他の職
業に就く人もいますが、ほとんどは上記のように、 国の管理下 に置かれてしまいます。

高偏差値獲得者達が、何かうまく機能していない様な気もします。
これも、 日本を衰退させてしまった一因  になるのでは?
この様な試験で高得点をとれる人達は、各種の資格試験も得意なはずです。
この人達に、世界に誇れる 『日本国の修理屋さん』  国の管理者 として働いてもらったら、
日本の再生・復活 につながるのでは? 
(ただ、後20年もすれば医者だらけになってくるので、こうなってくるのでは?)



2011年の暮れ 我が母校の同窓会に出席した。
"我が校は、同窓生を 大阪大学医学部に200名弱、奈良医大に100名、その他多く全国の医
学部に輩出しております。どんな病気になっても大丈夫です。この会場で医者の方は、挙手願
います"  おるわ、おるわー だった。
しかし、いかがなものか???

これだけ多くの医者がいても誰一人として、残念ながら 「 死」 というものを回避できない、
というのは確かなようです。

私の様な人間が言うのは僭越なのですが、世の中での 『真のエリート』 を養成するには、
まず学校の教職員・父兄等が エリート を目指さないと、と感じます。
   陰ながら母校の発展を祈念しています。
 Jan/04/2012  
                                            岸上 尚司

                                             

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